ドウダンツツジ - 美しい花と葉と、数奇な運命
ドウダンツツジ(灯台躑躅)は、ツツジ科ドウダンツツジ属の落葉低木。日本の在来種であり、温暖な蛇紋岩などの岩山に自生すると言われているが、実際に目にするのは庭や公園に植栽されたものだ。ツツジ科の植物であり、幹から枝が幾重にも分枝し、鼎のような三本脚で油皿(花の例え)を支える様子をイメージして"灯台躑躅"と命名されたらしい。植栽として、人家の周辺で暮らすことになったドウダンツツジは、強剪定に耐えで庭木や街路樹になっている。それには、理由がある。新緑の頃、ドウダンツツジは若葉とともに白い壺型の花を鈴なりに咲かす。秋には葉が真紅に染まり、モミジにも匹敵する鮮やかさだ。定期的な剪定を行えば、手入れは容易で、今では全国的に広く普及している。従って、現代のドウダンツツジのある風景は、樹木の生来の美しさと、人間が生活環境に適合するようデザインした結果だ。しかし、この現象は、ドウダンツツジが在来種であっても、明治時代以降の傾向だ。何があったのだろうか。

【基本情報】
・名称:ドウダンツツジ(灯台躑躅)
・別名:マンテンセイ(満天星)、ドウダン(灯台)
・学名:Enkianthus perulatus
・分類:ツツジ科 ドウダンツツジ属の落葉低木
・原産地:日本
・分布:本州・四国・九州など
・花言葉:節制、上品、愛の喜び、私の想いを受けとめて
■生態
ドウダンツツジは、雌雄同株。幹は地面から株立ちし、上方では枝は幾重にも分枝する。樹皮は灰色で、若いうちは滑らかで光沢があるが、やがて不規則に剥離する。葉は長い枝では互生し、短い枝先には輪生状に数枚の葉が集まってつく。葉は先端が尖った楕円形で葉縁には微細な鋸歯がある。





■花
春になると、赤茶色い芽鱗に覆われた冬芽が膨らみ、表面が割れてくる。やがて、蕾と若葉が現れる。枝先から芽鱗を乗り越え、長い花柄を介して、下向きに散形花序を構成する。花序には数個の花がつき、花は白い壺形花冠を持つ。花冠には5つの稜があり、萼片も深く5裂する。花は両性花で、中央の長い雌蕊の周辺に、10本の雄蕊があり、葯の先端が2裂する。花粉を運ぶのは、小さなハナバチやハナアブのようだ。ドウダンツツジは枝分かれが多いためか、大量の花がつくため、花の満開期は、樹木全体が白く見える程だ。








■果実
花が終わると、長楕円形の果実が上向きにつき、果皮は緑色から茶色に変化する。果実は蒴果で、秋に熟して多数の種子を放出する。ドウダンツツジの繁殖方法は、この種子を使った実生は時間がかかるので、植栽では挿し木による方法が一般的のようだ。また、秋の果実は熟成する頃には、赤茶色い芽鱗に覆われた冬芽も現れる。



■紅葉
秋になって、気温の寒暖差が大きくなると、ドウダンツツジの紅葉が始まる。始めは、陽当たりなどの環境によって、黄色から朱色へと斑に変化していく。やがて、紅葉の最盛期になると、葉の一枚一枚が赤く染まっていく。樹木全体が紅葉すると、自然の造形には収まらないオブジェのように見えてくる。兵庫県の但馬安國禅寺では、まるで絵画のようなドウダンツツジの紅葉が楽しめ、観光名所になっている所もある。



■ドウダンツツジと日本人
ドウダンツツジは日本の在来種でありながら、自生地が限定されていたため、明治時代以前はあまり知られない存在だった。これに関する興味深いエピソードがある。恵泉女学園大学園芸文化研究所の宮内泰之氏による報告書"樹の文化史(3) ドウダンツツジ"(詳細はここをクリック)だ。園芸が盛んだった江戸時代には、庭木としてのドウダンツツジは存在したようだが、伝統的な日本庭園では利用されなかったようだ。明治時代になって、軍人で政治家の山縣有朋が、ドウダンツツジを近代日本庭園の素材として取り入れたこと、そして植物学者の牧野富太郎らが高知県で自生のドウダンツツジを"再発見"したことにより、急速に普及が進んだとのことだ。
野生のドウダンツツジは、樹高が3m程度になるようだ。植え込みの剪定された1m程度のドウダンツツジに馴染んでしまうと、何とか野生のドウダンツツジを見てみたいものだ。しかし、ドウダンツツジからすると、山奥で自由の暮らしていたのに、身を削られながら全国各地で生き延びているのは、どんなものだろう、数奇な運命だ。


