ゴッホ展 2025年 東京 - 巨匠を創った家族の物語

 東京都美術館で開催された"ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢"を見に行った。この美術展は、アムステルダムにあるファン・ゴッホ美術館が所蔵する作品の一部を、2025年から2026年にかけて、大阪、東京、名古屋で公開するものだ。ファン・ゴッホ美術館は、その設立の経緯から、ゴッホの多くの作品を所蔵しているが、そればかりでなくゴッホに影響を与えた画家の作品や、ゴッホに関する文献なども所蔵しており、ゴッホ研究の拠点のとしての役割も果たしている。今や巨匠として扱われるゴッホの作品は世界中で人気があり、ファン・ゴッホ美術館の他に、アムステルダムのクレラー・ミュラー美術館や、欧米や日本の美術館でも所蔵している程だ。今回のゴッホ展の見処はと問われると、少々答えに窮する。現存する10枚ものヒマワリの絵の出展はないし、35枚ある自画像もパリ時代の1枚のみで、星月夜や夜のカフェテラスのような最盛期のゴッホの絵の展示はない。ゴッホの名画を鑑賞するつもりで本美術展に出向くと、少なからず失望する。人付き合いが下手で頑なな性格の画家ゴッホが、生前には殆ど絵は売れなったにも拘らず、現代では巨匠と呼ばれるまでになった。そこには、ゴッホ一族の並々ならぬ努力があった。この企画は、ゴッホ研究の拠点であるファン・ゴッホ美術館の出張美術展と考えれば、このゴッホ展のありようは納得出来るものだ。

本美術展のフライヤー (主催:東京都美術館など)

 今回の美術展では、ゴッホや他の画家のものも含め、76点もの作品が出品されたが、これらを5つの章に分けて展示されていた。第1章は"ファン・ゴッホ家のコレクションからファン・ゴッホ美術館"。ここでゴッホ家の登場人物を紹介している。画家フィンセント・ファン・ゴッホとその弟テオドルス・ファン・ゴッホ(愛称テオ)、テオの妻ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル(愛称ヨー)、そしてテオとヨーの息子フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ((愛称エンジニア)の4人。弟のテオは兄の画才を見抜き、画商として兄の作品を引き取りながら、精神的かつ経済的な支援をして、奔放な兄を支えた。しかし、ゴッホの自殺後、わずか半年後にテオは病死した。残されたヨーは、相続した作品を回顧展で展示したり、ゴッホの書簡集を出版したり、更にはヒマワリの1枚をロンドン・ナショナル・ギャラリーに売却して、ゴッホの存在を世の中に認知させた。テオとヨーの息子のフィンセント・ウィレムは財団を創って膨大なコレクションをオランダ政府が設立した現在のファン・ゴッホ美術館で永久展示する仕組みを創った。ゴッホの家族は、それぞれ異なるフェーズでゴッホ支えたが、中でも生活が困窮する中で幾つかのイベントを企画してゴッホの芸術性を高めたヨーのプロデューサーとしての才覚は際立っていると思う。

 第2章"フィンセントとテオ、ファン・ゴッホ兄弟のコレクション"。ゴッホ兄弟が画廊で働き始めた10代後半から、興味を持った絵画や雑誌の挿絵、日本の浮世絵などを収集した。今回は20点程が展示されたが、多種多様な作品の羅列が、後の画家ゴッホの画風にどの様な影響を与えたかを想像する能力にかけていたためか、見続けるのが少々辛かった。

 第3章"フィンセント・ファン・ゴッホの絵画と素描"で、漸くゴッホの絵画が見られる。オランダ時代(~1985年)は画家修行の最中で、画調は暗く写実的な傾向が強く、個性は強くない。何だかピカソの青の時代を思い浮かべてしまった。代表的な作品は"女性の顔"(ここをクリック)。以下、画像はWikipediaを参照する。パリ時代(1886~88年)にはロートレックやゴーガンなどとの交流も始まり、絵の色彩が明るくなり、点描などの技法も習得し、ゴッホの個性が目立つようになってきた。代表作は"モンマルトル:風車と菜園"(ここをクリック)。アルル時代(1888年)は短い期間だったが、ゴッホらしい多くの傑作を生み出した。黄色い家を借り、ゴーガンとの共同生活も始まったが、精神を病み挙動が不安定になった時期でもある。代表作は"浜辺の漁船、サント=マリー=ド=ラ=メールにて"(ここをクリック)。サン=レミ及びオーヴェール= シュル=オワーズ時代(1889~90年)は、病気と戦いながら、表現は自発的で抽象的な領域にまで拡った。波打つような表現の糸杉や星月夜はこの頃の作品だ。本展では、"オリーブ園"(ここをクリック)が展示されていた。ゴッホの作品は、環境を変える度に新しい要素を取り入れ、絶えず進化していった。それを身近に見ていて作品の価値を見抜いたテオとヨーは、正当な評価を与えたかったのだろう。

 第4章は"ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルが売却した絵画"。テオが亡くなり、ゴッホの作品を相続したヨーは、ゴッホ作品の価値を高めるため、意図して一部の作品を美術館や個人の収集家に売却を始めた。その取引の会計簿と、3点ばかり売却した絵画が展示された。その中の1つは、現在はアムステルダム市立美術館にある"モンマルトルの菜園"(ここをクリック)だ。これはパリ時代の作品で、ゴッホの筆使いが分かる明るい風景画で、万人受けするものだ。

 第5章"コレクションの充実 作品収集"は、1973年に開館したファン・ゴッホ美術館のコレクションの拡充状況を展示。ゴッホの作品のみならず、近年はゴッホに関連のある画家たちのコレクションが増加している。今回の展示では、ゴッホの書いたスケッチ入の手紙が展示され注目されていた。また、新たに加わった作品は画家も様々、様式も油彩やリトグラフ、ポスターなど様々。ファン・ゴッホ美術館はゴッホを中心とした美術館ではあるが、より総合的な美術館を目指しているようだ。

 最後にイマーシブ(immersive)コーナーがあった。部屋の壁全面にゴッホの物語や作品が動画になって投写され、そのシャワーの中で没入感を体験するものらしい。画面は拡大・縮小・回転しながら左右に流れ、忙しなく迫ってくるので迫力は充分にあるが、目も回る。しかし、オリジナルの絵画以上の情報はないので、あまり得した気分にはならない。折角この装置があるのなら、静止画でよいので作品を引き伸ばして絵の表面の凹凸まで分かるように表示してくれると、隅から隅まで眺めながら、ゴッホの息遣いを感じられるかもしれない。

 総括としては、企画としてのゴッホ展のサブテーマ"家族が繋いだ画家の夢"は充分に理解できた。出展された作品数は76点に及ぶが、その中でゴッホの作品は約半数に過ぎない。これは、ゴッホ一家を取り巻く時代背景や芸術の拡がりを表現した結果なのだろう。この企画は、NHKのテレビ番組"ファミリーヒストリー"を見ているような印象を与えた。ただ、残念だったのは傑出した作品の展示が少なかったことだ。この様な物語性を重視した美術展は、今後も増えていくのだろうか。