タチツボスミレ - 日本のスミレ属の代表格

 タチツボスミレ(立坪菫)は、スミレ科スミレ属の多年草。名の由来は、茎が立ち、坪(庭)に咲き、花の後部にある距と呼ばれる花蜜を貯める部分が大工道具の墨入れ(≒スミレ)に似ているためで、言い得て妙な表現だ。スミレの仲間は花の形や色、葉の形、茎のつき方により、実に多様な種があり、判別が結構難しい。日本で自生するスミレの中では、タチツボスミレは、スミレ(スミレはスミレ科の総称でもあるが、ここでは狭義の種である別名マンジュリカのこと)とともに、身近なスミレ類の代表格だ。タチツボスミレは、茎は地表から立ち上がり(有茎種)、葉も茎につくようになって、葉形は丸っこいハート形、花は薄紫色。一方、スミレは、茎は立ち上がらず(無茎種)、葉は全て根生葉で細長く、花は濃い紫色。この2種のスミレの相違が理解できるようになると、漠然としたスミレ類の分類について、かなり推定が効くようになる。しかし、現実はそう甘くない。タチツボスミレの仲間には、株の構造は同じでも、花の赤みが強かったり、距が白かったりすると、◯◯タチツボスミレと言う名称になる。色や大きさなどは、株の個性でアナログ的に変動するものもあるので、厄介だ。狭山丘陵に咲くスミレ類は圧倒的にタチツボスミレだ(…と思っている)。そして、春になると、逸早く薄紫色の花の浮島が忽然と現れる。夏になると、雑草に紛れ込んで目立たなくなるが、怠りなく来春を目指して雌伏する。何かミステリアスな雰囲気がある。

タチツボスミレの花期の株 (‎2023‎年‎3‎月‎30‎日 所沢市)

(参考) スミレ(マンジュリカ)の株 (‎2004‎年4‎月130‎日 東京都薬用植物園)

【基本情報】
 ・名称:タチツボスミレ(立坪菫)
 ・別名:ヤブスミレ,ミツバタチツボスミレ
 ・学名:Viola grypoceras A.Gray var. grypoceras
 ・分類:スミレ科 スミレ属の多年草
 ・原産地:東アジアの温帯地域(日本列島、中国大陸、朝鮮半島南部、台湾)
 ・分布:日本では、北海道から琉球列島まで各地
 ・花言葉:小さな幸せ、慎ましい幸福

■生態
 タチツボスミレは、スミレ属の中でも、地下茎から上に伸びた茎から、根生葉を除き、葉柄や花柄が分枝する有茎類に分類される。茎につく葉はハート形で、葉縁に鋸歯があり、葉表には艶はあまりない。葉柄の付け根には、櫛の歯の様に深く裂けた托葉がある。野原ばかりではなく、都会の公園や道端でも群生するほど生命力は強い。花の時期が終わっても、枯れることなく茎を伸ばして成長を続け、閉鎖花をつけて自家受粉もする。繁殖の方法としては、春の開放花による種子、夏以降の閉鎖花による種子、そして地下茎による栄養繁殖等の方法があり、万全だ。

細長い葉柄を持つ丸い葉と、立ち上がる茎が、タチツボスミレの特徴 (‎2025‎年‎4‎月‎15‎日 所沢市)

茎につく葉はハート形で、葉縁に鋸歯があり、葉表にはあまり艶はない (‎2025‎年‎4‎月‎8‎日 所沢市)

葉柄の付け根にある托葉は、櫛の歯の様に深く裂ける (‎2025‎年‎4‎月‎8‎日 所沢市)

タチツボスミレは、茎が伸びて葉や花が枝分かれする有茎種のスミレ (‎2024‎年‎4‎月‎13‎日 所沢市)

舗装された道端でも繁殖するほど、生命力は強い (‎‎2025‎年‎4‎月‎8‎日 所沢市)

■花
 春になると、茎が立ち上がり、その先に蕾をつける。蕾は5裂した萼に覆われ、後部には細長く薄紫色の密が入る距も生成され、花柄の蕾に近い部分に小さな一対の托葉がある。開花すると、淡紫色の花弁が5枚あり、その内訳は上弁が2枚、側弁が2枚、唇弁(下弁とも言う)が1枚で、唇弁に紫色の筋がある。側弁の内側に毛は生えて無い。雄蕊は5個で花糸はほとんどない。雌蕊は1個で、花柱は棒状。他の植物の花の構造とは、少なからず異なるが、蜜を求めて訪問する昆虫は蕊の部分に潜り込み、花粉を運ぶ。

蕾は5裂した萼に覆われ、後部には密が入る距も生成され、花柄に小さな一対の托葉がある (‎2025‎年‎4‎月‎8‎日 所沢市)

咲いた花を、側面からみる (‎‎2025‎年‎4‎月‎15‎日 所沢市)

花の構造を、正面から見る ‎(2009‎年‎4‎月‎4‎日 所沢市)

花の中心部、密を求めて昆虫はこの奥の距を目指す (‎2008‎年‎3‎月‎30‎日 所沢市)

■果実
 花が終わると、花弁が落ち、子房が膨らんで未熟な黄緑色の果実が出来る。果実には萼が残り、縦方向の筋が入る。やがて成熟すると、果実は褐色を帯び、縦筋の凹凸が目立つようになる。梅雨の頃に、果実は3つに炸裂し、中の種子が弾き飛ばされる。これが開放花の種子拡散までのプロセスだ。夏以降のタチツボスミレは、株は成長を続け、若い果実のような形状をした閉鎖花をつける。閉鎖花の中で自家受粉をして、確実に子孫を残すことが出来る。

花の後に花弁が落ち、未熟な果実が出来る (‎‎2023‎年‎5‎月‎9‎日 所沢市)

未熟な果実、縦の筋が入る (‎‎2023‎年‎5‎月‎4‎日 所沢市)

成熟すると、果実は褐色を帯び、縦筋が目立つようになる (‎‎‎2024‎年‎6‎月‎11‎日 所沢市)

梅雨の頃に、果実は3つに炸裂し、中の種子が弾き飛ばされる (‎‎‎2024‎年‎6‎月‎11‎日 所沢市)

■タチツボスミレと日本人
 スミレは万葉の時代から、春を季語として、短歌や俳句に登場する。そればかりか、スミレの若葉や花は、天ぷらやお浸などにして食用になった。スミレに含まれるルチンは高血圧に効用があり、また清熱解毒の作用もある。日本人にとって、タチツボスミレは有用であるばかりでなく、早春を告げる植物としてお馴染みだ。
 しかし、野に咲くスミレ類の同定は、結構難しい。これは、外観の類似性を重視して分類してきたためだが、この難題に取り組んだ研究成果がある。金沢大学の研究グループが公開した"タチツボスミレ類における「種」の存在様式の解析" だ(詳細はここをクリック)。大学などの研究機関にある標準標本や、世界各地のスミレ類を集め、DNA配列を比較して分子系列樹の作成や類縁度解析を行った。例えば、日本産のエゾノタチツボスミレなど本種郡の候補種を可能な限り集め、狭義の本種群とともに系統解析を行った。その結果、外見が極めて類似する"北米産ナガハシスミレ"は日本産ナガハシスミレと大きく異なり、その他の北米、欧州産のものとともに、全てエゾノタチツボスミレ類に分類されるべきことが判明した。これは、好奇心をそそられる成果だ。人間は、スミレ類の世界をどのように捉えればよいのだろう。園芸家は伝統的に、直感的な外見による分類体系に馴染んでいるだろうし、科学者は積み重ねた事実に基づき新体系の分類を提案する。2つの異なった見解を知ると、それぞれの分類体系がより立体的になったような気もする。そのことは誰にとっても、大した問題ではない。日本人は、建前と本音を使い分けを良く知っているからだ。科学的解析が進歩して新たな発見を知るのは大いに楽しみなのが、近縁種の交雑や外来種(アメリカスミレサイシンなど)の侵入も進んでいるようなので、これからのスミレの世界はどうなるのだろうと心配でもある。