空海と真言の名宝展 - 秘仏とは?
2026年夏に、東京国立博物館の平成館で、弘法大師生誕1250年記念特別展"空海と真言の名宝"が開催されている。これは、真言宗各派総大本山会所属の十八本山などが主催し、関連寺院の選りすぐり貴重な文化財を展示し、空海と真言密教の歴史を現代人に体感させるものだ。

特別展は4部で構成され、第1章は”空海と真言密教”、第2章は”後七日御修法(ごしちにちみしほ:毎年正月に行われる真言宗の最高儀式)の世界”、第3章は”真言宗各派の名宝”、そして第4章が”真言宗各派の彫刻と秘仏”。この中で興味深いのは、第4章を中心とした仏像達、特にあえて”秘仏”と謳った点が関心を呼び起こす。秘仏とは、何らかの理由により非公開とされるものであり、秘仏と決定するのはその仏像の所有者だ。これについては、後世の人間があれこれ言う権利はないが、何故そうなったのか、例えば宗教的な理由があったのか、それとも仏像の形態なりが公開するのに相応しくなかったのか、あるいは持ち主の個人的な事情か…はどうなのだろうか。また秘仏と言っても、一切公開しないのか(絶対秘仏)、期日を決めて公開するのか、行事に合わせて不定期に公開するのかなど、様々なレベルがある。現地を訪問しても拝願し難い秘仏が、全国各地からお出でいただき、拝謁できるのは、仏像好きには絶好の機会だ。この際、個々の秘仏がどの様な事情を抱えているのかも知りたい。
今回の特別展では、28軀の仏像が展示されたが、出展リストの項番(#)順に言及する。美術展などの印象を表現する際に難儀するのは、著作権の関係で図像を利用できないことだ。言葉や想像力による表現には限界があり、やはり一部分でも図像を見れば理解が進む。そこで、図像に関しては、仏像を所有する寺院のホームページを参照していただく。但し、秘仏だけあって、掲載されていないものも多々あった。

#1:弘法大師坐像、和歌山・金剛峯寺、江戸時代(17世紀)、木造・彩色・玉眼
今回の特別展の展示会場入口で出迎えてくれた弘法大師像。真っ直ぐに正面を向き、膝上の左手に数珠、胸前の右手に五鈷杵を持つ姿は、真言宗の開祖に相応しい。本像は、高野山真言宗総本山の金剛峯寺本坊大主殿持仏間の秘仏本尊。本坊では重要な儀式や法要が行われ、その際に御開帳されるのだろうか。真言道場内部に限定された秘仏のようだ。図は、上記フライヤー、及び高野山霊宝館(ここをクリック)を参照。
#9:聖観音菩薩坐像、香川・願興寺、奈良時代(8世紀)、脱活乾漆造・漆箔、重文
この仏像の特徴は、脱活乾漆造であること。この技法は、奈良時代に平城京で盛んに作られたが、地方での作例は珍しい。表情は写実的で、技巧も繊細。鄙には稀な優美な仏像は、都で創られた可能性がある。秘仏だが、願興寺では毎月8日に開帳している。像の説明が願興寺のホームページに掲載されている(ここをクリック)。
#25:執金剛神立像、快慶作、和歌山・金剛峯寺、鎌倉時代(建久8年(1197年))、木造・彩色、重文
#26:深沙大将立像、快慶作、和歌山・金剛峯寺、鎌倉時代(建久8年(1197年))、木造・彩色、重文
この2軀は、第1章空海と真言密教の中の”密教図像の世界”のコーナーに展示されていた。このコーナーの目的は、密教の教えを体現する様々な仏様の姿を経典が定義しているが、それを線画で表現したものを展示している。この場に、執金剛神立像と深沙大将立像が存在する理由は、その図像を仏像彫刻として立体的に具現化することであろう。これらは、伝快慶作と言われてきたが、十数年前の修理の際に体内の納入物から墨書が見つかり、快慶作であること確定し、現在は重文に指定されている。両者とも仏教の守護神なので、憤怒の相と激しい動作が特徴だが、慶派特有の超リアルな表現が相乗して見応えがある。両像とも高野山霊宝館に常時展示され、秘仏ではない。霊宝館館長さんが案内してくれる興味深い動画がある(ここをクリック)。
#37:二間観音、京都・東寺、鎌倉時代(13世紀)、木造・素地・截金、重文
二間(ふたま)観音とは、真言宗最高の儀式"後七日御修法"で使われる観音菩薩、梵天、帝釈天立像のセット。二間観音は、かつて内裏の清涼殿二間で行われた天皇の私的行事"観音供"の本尊として、秘仏となった。この行事は江戸時代に復活し、東寺で行われている。二間観音は何度か作り直され、現在のものは鎌倉時代のものと言われている。3軀の仏像は何れも20cm余りだが、白檀の本体に施された截金模様や金属製の精緻な装身具や光背など、当時の先端的な技術で創作されたことが分かる。作風は穏やかで円派一門の作との説もある。皇室のプライベートな儀式に使われていたので、特殊な秘仏と言ってよいのかもしれない。東寺の2022春期特別公開で展示された時の図像がある(ここをクリック)。
#50:十一面観音菩薩立像、奈良・長谷寺、鎌倉時代(13世紀)、銅造・鍍金、重文
長谷寺の十一面観音立像と言えば、本尊の巨大な木造のものが有名で、右手に錫杖を左手に水瓶を持ち大盤石に立つその姿は"長谷寺式十一面観音立"と呼ばれている。今回展示された86cmの銅造りの十一面観音立像はこの姿に倣ったもの。寄木造の方法を取り入れ、各部を別鋳し組上げたためか、なかなか精緻な出来だ。何時もは長谷寺の宗宝蔵にあり、寺宝として公開されているので、秘仏とは言えない。画像は長谷寺寺宝のページの4番目を参照(ここをクリック)。
#66: 釈迦如来坐像、奈良・西大寺、奈良時代(8世紀)、木心乾漆造・漆箔、重文
この像は、塔本四仏として、塔の一層目の四面に外向きに安置された如来像の一つ。天平時代のリアルさより、それ以降の造顕なので優しさが感じられる。木心乾漆造だが、木の粉をペースト状にして漆を塗り(木屎漆)、細かな表現を可能にした。当時としては先端的な技法だったのだろう。現在は塔は無いので、寺内の聚宝館に展示されているので、秘仏の範疇には入らない。図像は、聚宝館のホームページの4番目に掲載さてている写真の左側(ここをクリック)。
#67:五智如来坐像、京都・安祥寺、平安時代(9世紀)、木造・漆箔、国宝
五智如来とは、真言密教の本尊大日如来を中心に、その知恵を分け与えた阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来の五仏の集団。数ある五智如来坐像の中でも、平安時代初期に創られた安祥寺のものは最古と言われ、2019年に国宝に指定された。各如来の姿は密教図像に従っているが、丸く穏やかな顔立ちや着衣の襞、台座などは統一感がある。仏像の作り方は、#66の西大寺の釈迦如来坐像と同様に木屎漆による。五体揃った姿は壮観だ。明治39年(1906年)に安置されていた多宝塔が焼失したが、それ以前に京都国立博物館に寄託されていて難を逃れた。現在も京都国立博物館で公開されているので、秘仏ではない。図像は安祥寺のホームページの中程を参照(ここをクリック)。また、本特別展では写真撮影が可能な場所が2か所設定され、五智如来坐像はそれに該当するなので、写真も掲載。


#68:仏眼仏母如来坐像(伝弥勒菩薩)、大阪・観心寺、平安時代(9世紀)、木造・漆箔、重文
#69:弥勒如来坐像(伝宝生如来)、大阪・観心寺、平安時代(9世紀)、木造・漆箔、重文
大阪の観心寺には、本尊秘仏の木造如意輪観音坐像が有名だが、他にも十体あまりの平安期の仏像がある。その中に、仏眼仏母如来坐像と弥勒如来坐像があるが、印相からそれぞれ伝弥勒菩薩、伝宝生如来とされている。これらの仏像は、#67の安祥寺の五智如来坐像と表情も着衣の表現も良く似ている。相違点は、観心寺のものは頭髪が螺髪でなく宝髻であること位か。おそらく同じ工房で制作され、時代の流行を反映したもだと思う。この2軀の仏像は、観心寺の霊宝館にあり、常時拝顔可能なので秘仏ではない。図像は、残念ながら、観心寺のホームページにはない。
#70:大日如来坐像、兵庫・中山寺、平安時代(12世紀)、木造・漆箔、重文
真言密教金剛界の教主である大日如来が胸の前で智拳印を結んだ典型的なお姿。同じ大日如来坐像と言っても、#67の安祥寺のものとは随分印象が異なる。細身の引き締った体つきや、両肩に衣を掛けて垂らすデザイン、そして何よりも精悍な顔立ちは、若い運慶が創った大日如来を連想させる。時代の変曲点にある仏像だ。本像は、中山寺の宝物館で展示されているので、秘仏ではない。中山寺図譜に素晴らしい説明と動画がある(ここをクリック)。
#71: 毘沙門天立像、京都・乙訓寺、平安時代(12世紀)、木造・彩色、重文
毘沙門天は北方を守護する仏教の守護神であり、甲冑を纏い、右手に宝棒、左手に宝塔を持ち、足元には邪鬼を踏みつける姿で表現される。大方の場合は、荒々しくダイナミックな姿で表現される場合が多い。本像の場合は落ち着いたスタティックな表現で、綺羅びやかな彩色や截金などが顕著だ。時代の嗜好を反映したものだろうか。観光シーズンに特別公開されているようなので、秘仏ではない。図像は、乙訓寺の文化財のページに一部だが掲載されている(ここをクリック)。
#72:薬師如来坐像、兵庫・中山寺、平安時代(12世紀)、木造・彩色、重文
本像は、かつては薬師堂の本尊として、日光・月光両菩薩像や十二神将像を従えていたらしい。体はやや華奢で衣文線が薄く静的な印象を受けるが、頭部の螺髪が彫り出されやや俯き加減で目鼻立ちがしっかりした表情が印象に残る。平安時代後期の様式だろうか。本像は、大日如来坐像と同様に、宝物館で一定期間に公開されているので、秘仏ではない。中山寺図譜に素晴らしい説明と動画がある(ここをクリック)。
#73:吉祥天立像、香川・善通寺、平安時代(12世紀)、木造・彩色、重文
吉祥天は、古代インドの女神に起源を持つ。善通寺の吉祥天立像はカヤの一木造りで、像高は135cmで細身で手も足も長くプロポーションは良い。衣の襞は、肩から垂れる天衣の質感や、袖や正面で幾重にも波打つ様子が立体感を感じさせる。吉祥天信仰は、空海の真言密教伝来以前から存在するが、何故この吉祥天立像が空海の誕生の地善通寺にあるのかは不明。現在、本像は宝物館に展示されており、秘仏ではない。宝物館のホームページに写真がある(ここをクリック)。
#74:愛染明王坐像、山梨・放光寺、平安時代(12世紀)、木造・彩色、重文
愛染明王は、愛欲を始めとする欲望にとらわれる衆生を浄化解脱させる明王。放光寺の愛染明王坐像は、一面三目六臂の"天弓愛染明王像"と呼ばれ、左右2本目の手に弓と矢を持ち、天に向って矢を射る姿をしている。この造形は高野山金剛峯寺と京都府神童寺蔵のものと合わせて3軀しかない珍しいもの。これは”金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経”の経文の中の"衆星の光を射るが如し"を忠実に再現したものと言われている。放光寺の愛染明王坐像は、ヒノキの寄木造りで、彩色や彫眼が施されており、動作は大きいが割とスタティックな印象を受ける。本像は収蔵庫で展示され、秘仏ではない。画像は放光寺のホームページにある(ここをクリック)。また、ここも会場で撮影が可能な場所なので、写真も掲載しておく。


#75:不動明王坐像、快慶作、京都・醍醐寺、鎌倉時代(建仁3年(1203年)、木造・彩色・ 截金・玉眼、重文
不動明王とは、密教で大日如来の怒りの化身とされる護法の仏。醍醐寺の不動明王坐像は、"弘法大師様"と呼ばれる。これは、頭頂に蓮華、髪は総髪、顔はやや右向きで両目を見開き、上の歯列で下唇を噛み、この様式を具現化したものだ。昭和十年代に寺内で発見され快慶作と判明した。現在は霊宝館にあり、秘仏ではない(ここをクリック)。
#76:金剛薩埵坐像、快慶作、京都・隨心院、鎌倉時代(13世紀)、木造・漆箔、重文
金剛薩埵は、日本の真言密教では大日如来に次ぐ伝法者とされている。本像は快慶の晩年の作と言われ、今回は持物や光背、台座などが無い素の状態で展示されていた。そのため、意志的な眼や口の表情、引き締った細身の体躯などの写実性が目立ち、鎌倉時代の慶派作品だと思わせた。随心院では、本堂に安置され、持物などがフル装備されているので、一瞬同じ像かと戸惑ってしまう。本像は秘仏ではない。隨心院による動画付きの解説がある(ここをクリック)。
#77:地蔵菩薩立像、京都・大報恩寺、鎌倉時代(貞応3年(1224年))、木造・彩色・玉眼、国宝
左手に宝珠、右手に錫杖を持ち、六道輪廻から衆生を救う地蔵菩薩は、日本人にはお馴染みだ。大日如来を中心とする真言密教でも、地蔵菩薩はその役割を果たしている。大報恩寺の地蔵菩薩立像もイメージ通りのお姿だ。一本の木から大まかに削り出した像を、分割し中をえぐり、寄木造りのように再びつなぎ合わせる"一木割り矧ぎ造り"という技法で造られている。慶派工房の作である大報恩寺所蔵の六観音像と同じ技法で作風も似ているので、慶派に依るものと推定されている。何時もは霊宝殿に安置されており、秘仏ではない。図像は、大報恩寺バーチャルミュージアムで立体的に見られる(方法は、大報恩寺のホームページ https://daihoonji.jp/ を開き、ページ中程の"大報恩寺バーチャルミュージアム"のウィンドウをクリックし、画面が変わると"文化財ビュウア"を開き、地蔵菩薩立像を選ぶ)。
#78:地蔵菩薩立像、神奈川・覚園寺、鎌倉時代(13世紀)、木造・彩色・ 截金・玉眼、重文
鎌倉の覚園寺地蔵堂の御本尊。玉眼による意志的な眼差し、張りのある顔つき、大振りな衣の襞など、鎌倉時代の特徴が現れているが作者は不詳。黒く煤けた風貌から”黒地蔵”と呼ばれ、毎年8月には黒地蔵盆が開かれる。覚園寺の拝観方法は時間割制で、定刻になるとお寺の方が参加者を引き連れて境内を案内し説明をしてくれるので、黒地蔵は秘仏ではない。図像は残念ながら、覚園寺のホームページにはない。
#79:十一面観音菩薩立像、兵庫・須磨寺、鎌倉時代(13世紀)、木造・素地・玉眼、重文
須磨寺の十一面観音菩薩立像は、小振りながら(84cm)、玉眼による鋭い眼光や若々しさ、動きのある自然な姿勢など、鎌倉時代の作風を持つ。快慶作との説があるが不詳。通常は秘仏として本堂に安置されているが、毎月18~21日に開帳されている。須磨寺VR・文化財の紹介のページの木造十一面観音立像の項目で、音声説明と3D画像が閲覧できる(ここをクリック)。
#80:厨子入五大明王像、湛海作、奈良・寳山寺、江戸時代(元禄14年(1701年))、木造・彩色など、重文
これは、小さな厨子の中に五大明王を組にして納めた密教彫刻。中央に不動明王、右前に降三世明王、左前に大威徳明王、左後に金剛夜叉明王、右後に軍荼利明王を配置し、護法・降伏の世界観を立体で把握しやすくした。僧である湛海が自ら創った。聖天堂に安置され、秘仏ではない。寳山寺のホームページは見当たらないので、図像はない。
#82:薬師如来坐像、円勢・長円作、京都・仁和寺、平安時代(康和5年(1103年))、木造・素地・截金、国宝
本像は、仁和寺の歴代御室門跡の位牌を祀る霊明殿の秘仏本尊。像高は12cmで最小の国宝仏。白檀を用いた檀像で、光背上方の円形部に七仏薬師像、光背下方の方形部に日光月光両菩薩像、台座に十二神将像像を配し、薬師如来に関連する仏をコンパクトに集積している。円派の円勢、長円によって創られた。本像は秘仏のためか、仁和寺のホームページには掲載されていないので、図像はない。
83:如意輪観音菩薩坐像、大阪・大門寺、平安時代( 11世紀)、木造・素地、重文
如意輪観音は、真言密教では現世利益と救済の力をあわせ持つ尊格として信仰されてきた。如意輪観音の姿の特徴は、片膝を立てて、指先を頬にあてる思惟のポーズと、両足の裏を合わせる輪王座、そして6本の手を持つことだ。大門寺の如意輪観音菩薩坐像は、確かにこの仕様書通りに造られている。しかし、何か変だ。先ず光背が斜めに傾いており、その中の模様は彫刻ではなく線描きで、また台座も荒々しく削られたままだ。顔や体には僅かにノミの痕が残り、東日本で見かける鉈彫り仏のようだ。要するに、未完成の仏像ではないのか。しかし、如意輪観音の醸し出す物憂げな表情と豊満な姿は充分に表現されている。この妖しい雰囲気のためか、それとも作り込みの完成度が今一つなためか判別としないが、本像は大門寺の秘仏として本尊に納まっている。今回の特別展を控え、NHKは番組”秘仏開帳”や"日曜美術館"で本像を取り上げた。おかげで大門寺のホームページに本像の写真が掲載された(ここをクリック)。秘仏らしい秘仏に出会ったような気がする。
#84:十一面観音菩薩立像、三重・観菩提寺、平安時代(9~10世紀)、木造・彩色、重文
観菩提寺の十一面観音菩薩立像の姿は、見慣れた十一面観音像とは随分と異なる。先ず、プロポーションが5等身程度で頭部の割合が大きい。腕は六臂で、第1対は蓮華を持ち施無畏の印を結び、第2対は水瓶と念珠を持ち、第3対は三鈷戟と宝棒を持つ。これらは十一面観音像のお手本の図柄仕様から外れる。そればかりではなく、顔の表情は慈悲に溢れたものではなく、細くやや吊り上がった眼から覗く鋭い眼差し、鼻から眉毛に連なる深い稜線、そして赤みが残る分厚く大きな唇、何か対面者の心を見透かすような力強さがある。この異様さは、何処に由来するのだろうか。本特別展の図録には、六臂の十一面観音像の例は中国唐代にあるとの記述があるとのこと、すると異国文化の影響か?また、観菩提寺の歴史を調べると、東大寺二月堂の修二会を始めた実忠和尚が、観菩提寺を別院として建立し、多数の堂舎が存在したが、戦国時代の織田信長の伊賀攻め寺勢が衰退した。そうすると、この地でも創造的な文化を育む素地があったのか。…などと想像は膨らむ。現在の観菩提寺は本堂(正月堂)と楼門が残るのみ。十一面観音菩薩立像は正月堂の本尊秘仏として、33年毎に開帳される。NHKは番組”秘仏開帳”や"日曜美術館"で本像を取り上げていた。旧正月の行事修二会の様子や、特別展のため十一面観音を東京へ向けて送り出す様子など、地域住民に慕われている様子が分かった。また、毎日新聞に十一面観音が東京での特別展から寺に戻ったら特別公開するとの記事が掲載された(ここをクリック)。これは仏様から地域住民への返礼かと思わせる。本像の図像については、観菩提寺にホームページはないので、本像が掲載されている本特別展の事前フライヤーに代える。本像は異形な姿で履歴は明らかではないが、地元住民には慕われている理想的な秘仏だった。

#85:千手観音菩薩立像、和歌山・金剛三昧院、鎌倉時代(13世紀)、木造・素地・截金、重文
本像の特徴は、頭上に十一面を戴く千手観音菩薩立像。千手菩薩の腕の数は、通常は42本だが、本像は36本。カヤの一木造りで像高は56cm。金剛三昧院は、源頼朝追善供養のため鎌倉時代初期に建立され、本像は本堂安置の秘仏。全体に表現が控えめで復古的要素を含む。金剛三昧院のホームページに言及はあるが図像はない。
#86:釈迦如来坐像(三平瑞像)、京都・泉涌寺、中国・清時代(17世紀)、木造・漆箔・彩色
本像は、中国福建省ゆかりの伝承を持つ"三平"の名がつく釈迦如来坐像で、黄檗宗開祖の明の高僧隠元隆琦が、後水尾法皇に献上し念持仏となった。釈迦如来の仕様書に基づき具現化しても、中国と日本ではかなり印象が異なる。現在本像は、泉涌寺の妙応殿の本尊秘仏となっている。泉涌寺のホームページに図像あり(ここをクリック)。
#87: 厨子入十一面観音菩薩立像、京都・泉涌寺、江戸時代(19世紀)、木造・素地
本像は、像高僅か5.5cmの小像を十一面観音菩薩立像を厨子に収めたもの。江戸時代末期に徳川家茂に降嫁した和宮親子内親王の念持仏。現在は、泉涌寺の海会堂に安置されている秘仏。泉涌寺のホームページに言及はない。
#88:興教大師坐像、和歌山・根來寺、江戸時代(17~18世紀)、木造・彩色・玉眼
空海の死後、真言密教は形骸化していったが、平安時代後期に興教大師覚鑁が現れ、新義真言宗を興し、真言宗中興の祖と言われた。興教大師は拠点を根來寺に移し、密教の視点から浄土教の理論化を進めた。本像は、根來寺光明真言殿の秘仏本尊で、江戸時代の作。多くの新義真言宗の寺院で、興教大師坐像は作られたらしい。根來寺の法話のページに図像がある(ここをクリック)。
今回の特別展で拝観した仏様を一通りトレースした。先行フライヤーの"秘仏開帳"のキーワードにつられて、大いに期待して平成館に行ったが、珍しいものが見られたと言う満足感と、密教の経典に示された様々な2次元の仏像の仕様書が3次元の立体的な彫刻に具現化される面白さの2つが楽しめたのは成果だった。ただ、秘仏に関しては、その定義や範囲は様々で、保存すべき文化財としての秘仏たちに適当であるかは疑問が残る。過去に誰かが決めた秘仏のルールをそのまま継続するよりも、将来に秘仏を残していく方法を考えるのは現代人の役割だ。今回の特別展では、観菩提寺の十一面観音菩薩立像や、大門寺の如意輪観音菩薩坐像に邂逅できたのはラッキーだった。未だ知られていない秘仏が、日本の何処かに存在するのではと期待している。


