新交響楽団第273回演奏会 – 音楽の革新
日本の代表的なアマチュアオーケストラ新交響楽団()の創立70周年記念の演奏会の一環として、4月12日に池袋の東京芸術劇場 コンサートホールで第273回演奏会が開催された。


今回の演奏曲は、ウェーベルン編J.S.バッハ/6声のリチェルカーレ(BWV.1079)、シェーンベルク/浄められた夜(弦楽合奏版)、メンデルスゾーン/交響曲第5番”宗教改革”、シェーンベルク編J.S.バッハ/前奏曲とフーガ(BWV.552)の4曲。今回の演奏会のテーマは何だろうか、バッハ、それとも新ウィーン楽派、あるいはユダヤ人作曲家か?4曲とも当てはまるものは無く、新響らしい不思議なプログラムだ。今回の指揮者は、中田延亮氏。医学生のときに音楽活動を始めた変わり種で、フランスの巨匠ジャン・フルネ氏の最晩年の弟子となり、バロックから現代音楽まで幅広いレパートリーを持つ。この複雑なプログラムをどのように聴かせてくれるのだろうか。
第1曲は、バッハがプロイセン王フリードリッヒ2世に謁見したのを機に創った"音楽の捧げ物(BWV.1079)"の中の6声のリチェルカーレを、20世紀初頭の新ウィーン楽派のウェーベルンが編曲したもの。原曲は、小規模な合奏団で演奏されることが多いが、今回は弦五部と多種の管楽器によるフルオーケストラ用に編曲したもの。確かにバッハの音楽には違いないが、音楽に重量感が増し複雑なフレーズも入ってくる。ウェーベルンが12音技法を完成した時期の作品で、典型的な古典音楽が新しい技法によって、どのように再構成できるかを検証したものだろうか。
ここで、舞台のレイアウト変更があり、この間を利用して、次の"浄められた夜"の説明を中心に指揮者中田延亮氏から挨拶と説明があった。また、演奏中の指揮台の立った中田氏は身振りが大きく、手は左右独立に腕、手のひら、指までも個別に動き、脚も前進、後退を繰り返し、視野は180度可動で、軽やかで素早い動作は演奏者には良く分かり易そう。印象に残る指揮ぶりだ。
2曲目は、シェーンベルクの"浄められた夜"。当初は、弦楽六重奏曲で書かれたが、後に弦楽合奏版が創られた。この曲は、同時代の詩人リヒャルト・デーメルの"浄夜"に基づく。大意は、"葉の落ちた林を2人の男女が歩く。女が別の男との子を宿していることを告白する。男は沈黙し、暗く冷えた月光が注ぐ。男は口を開き、その子を2人の子として育てようと言う。2人は抱き合い、光り輝く夜の中を進む。" これを5つの楽章で表現した。この当時のシェーンベルクは、未だ12音技法を完成する前で、ブラームスのような構成感や、ワーグナーのような感情の揺らぎを感じさせ、未だ後期ロマン派の範疇にあると思わる。そして、大編成の弦楽合奏版で聴いてみると、弦楽六重奏で演奏する場合よりも、滑らかさと重量感が増しているように思う。シェーンベルクにとっては、この曲が新しい作曲技法への分岐点になったのだろう。
休憩を挟んで、3曲目はメンデルスゾーンの交響曲第5番"宗教改革"。メンデルスゾーン一家はドイツに暮らすユダヤ人だったが、ルターによる宗教改革運動に呼応しプロテスタントに改宗し、キリスト教社会の中で生きる道を選択した。1830年に作曲した"宗教改革"は彼の2番目の交響曲だったが、世間のユダヤ人に対する反感は強く、この曲を演奏する機会を失ってしまった。既に、彼の手によって、バッハの"マタイ受難曲"の復活上演が成功したのみも拘らず…。この曲は何度も改訂を加えて出版されたのは"イタリア交響曲"の後の1868年だったので、交響曲第5番になってしまった。"宗教改革"は、メンデルスゾーンにとって、青春の蹉跌だったのだろうが、この作品がメンデルスゾーンの音楽と人生の原点になっているように思う。この曲は4楽章構成で、2管編成で演奏される。随所にキリスト教の伝統的な旋律であるを"ドレスデン・アーメン"や"神はわがやぐら"を取り入れ、信仰の勝利を確信させるようなフィナーレで締めくくる。古典的な形式美と、メンデルスゾーンらしい洗練さにあふれた曲である。
4曲目は、シェーンベルクが編曲したJ.S.バッハの前奏曲とフーガ(BWV.552)。バッハの原曲は調性があり、ピアノやオルガンで演奏されることが多い。シェーンベルクがこの曲を手掛けた1928年には、シェーンベルクは既に12音技法による創作を始めていた。調性がなく、適当な音列を組合せた12音技法では、どの様な音楽に変容するのだろうかと心配したが、案外と普通で、フルオーケストラによる表現のニュアンスやダイナミックスが増したように感じた。また、編曲の対象として、バッハの音楽が持つ堅牢性が効果的だったような気がする。
最後に、新響の演奏会にしては珍しく、アンコールがあった。ドイツの後期ロマン派の作曲家マックス・レーガーが編曲したJ.S.バッハのコラール前奏曲"おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け(BWV.622)"だ。演奏時間が5分程度の曲だが、今回の演奏会に相応しいものだった。
今回の演奏会のテーマは、作曲者が自らの創作手法の変曲点にあたり、どのように音楽を革新して行ったか。そして、その検証手段として、揺るぎ無いバッハの音楽を利用して、その時の立ち位置を確認したことだろうか? 新響プログラムの謎解きは何時も難しい。


