池上本門寺五重塔 - 関東最古の五重塔

 全国各地に仏塔と呼ばれる建築物は、奈良時代から建立が始まった。特に、五重塔は仏教の宇宙観(地・水・火・風・空)を表す5層の塔であり、釈迦の遺骨を祀る卒塔婆(ストゥーパ)を起源とする仏教建築でありながら、地震に強い心柱構造が現代のスカイツリーにも応用されるなど、日本人には馴染み深い存在だ。関西方面には、歴史のある五重塔が多数あるが、関東地方では戦国時代が終わり、江戸時代に入って世の中が落ち着いてから五重塔の建立が相次いだ。池上本門寺(落慶1608年)、中山法華経寺(同1622年)、旧寛永寺(同1631年)などに現存する五重塔だ。これらは時代の社会通念や、建築技術を共有するためか塔の姿は良く似ている。今回は、代表格の池上本門寺五重塔を訪ねてみた。

池上本門寺五重塔の全景

【基本情報】
 ・名称:池上本門寺五重塔
 ・落慶:1608年(慶長13年)
 ・寄進者:江戸幕府2代将軍徳川秀忠
 ・高さ:約29m
 ・材質:心柱は檜材、四天柱や側柱などは欅材
 ・構造:木造五層で、各層は3間づくり
 ・建築様式:初層は和様、2層以上は唐様の折衷様式
 ・屋根の材質:初層と2層は本瓦葺、3~5層は銅板瓦葺
 ・文化財指定:国指定重要文化財

■池上本門寺について
 池上本門寺は、東京都大田区池上にある日蓮宗の大本山で、山号は長栄山。病身の日蓮上人が身延山を出て、湯治のために常陸に向かう途中で、武蔵国池上郷で亡くなるが、その直前に開堂した長栄山本門寺が起源。東急池上線の池上駅から北へ参道を歩いていくと、日蓮宗らしく"南無妙法蓮華経"のお題目が刻まれた石塔が迎えてくれ、総門の先に境内が広がる。総門は、当時流行した4本の柱に小さな切妻屋根を載せた高麗門形式で造られ、黒く塗られている。

"南無妙法蓮華経"のお題目の石塔の先には、境内の入口を示す高麗門形式の黒塗りの総門が建つ

 総門をくぐると、境内は小高い丘の上にあるので、96段の石積参道"此経難持坂(しきょうなんじざか)を登らなければならない。段数は"妙法蓮華経"の此経難持の偈文96字に因むものらしい。この石段は加藤清正が寄進したもので、オリジナルの状態のようだ。石段と言えば、身延山久遠寺でも、三門から本堂へと続く287段の石段"菩提梯" があり、これには大変難儀した。日蓮上人が与えた信仰に対する試練だろうか。

総門をくぐると、96段の石積参道"此経難持坂(しきょうなんじざか) ”が待ち受ける

 此経難持坂を登り切ると、三門(三解脱門)でもある仁王門が現れる。桃山様式の豪壮な入母屋造の重層門で、1945年以前は旧国宝だったが、空襲で焼失し、戦後に鉄筋コンクリート造りて再建された。また、本門寺の中心的建築である大堂(祖師堂)は何度か再建を繰り返したが、やはり空襲で焼失し、屋根は入母屋造で、高さ27メートルの鉄筋コンクリート造りの大建築に生まれ変わった。

此経難持坂を登り切ると、戦後に再建された桃山様式の豪壮な仁王門(三門)が現れる

中心的建築で入母屋造の大堂(祖師堂)も戦後に再建された

 大堂の南東の墓地の中に、樹木に囲まれて、目的の五重塔が立っている。全景を撮影するには樹木などが多く、南方の道路から見上げる位置が良いようだ。こちらは、幸運にも先の大戦の空襲に被災せず、創建当時の姿を残している。

大堂の南西に、墓地や樹木に囲まれ、五重塔が建つ

■五重塔の構造
 池上本門寺の五重塔を眺めると、初層と、2~5層の意匠が異なることに気がつく。初層については、基本的に和様のデザインになっている。縁台の上は三間造りで、東西南北の4面とも中央は木枠付きの板戸の桟唐戸(さんからど)、その左右は板に不思議な模様の入った格狭間(こうざま)だ(cf.禅宗様の場合は、ここには花頭窓になるのが普通)。桟唐戸と格狭間の上の柱の間には蟇股があり、当時の流行で十二支の彫刻が4面にわたり配置されている。そして屋根を支える柱との間の構造物の尾垂木(おだるき)は、太く長方形の断面だ(cf.禅宗様だと先端が細い五角形の断面のものが伸びる)。そして屋根の裏側の垂木(たるき)は、二重平行垂木だ(cf.禅宗様は、扇垂木で放射状に広がる)。また、和様建築で時々見られる装飾である木鼻(きばな)のモチーフは象だった。

五重塔を正面から眺める

初層正面は、中央に桟唐戸、その左右に謎の模様の入った格狭間がある

初層の屋根を支える垂木は二重平行垂木で、尾垂木は太く長方形の断面で、屋根は本瓦葺き

蟇股の一つ、十二支の”巳”の蛇

木鼻のモチーフは象の頭部

 五重塔の2層目は、下方の四方を高欄で囲まれ、側面は板張りだ。初層と異なる点は尾垂木の先端が細くなり断面が5角形になっており、これが立体的な組物から突き出ている。屋根を支える垂木は、禅宗様の放射線状に広がった二重の扇垂木になっている。また、屋根は初層と同様に本瓦葺だ。

2層目の屋根の垂木は、禅宗様の扇垂木になった

 3層目の構造は、2層目と同じだ。但し、屋根の瓦は本瓦葺きではなく、銅葺きになっている。創建当時は本瓦葺きだったが、修理の際に変更したらしい。銅葺きだと屋根に対する重量負担が軽減され、物理的には合理性があると思う。また、4層目も3層目と同じ構造になっている。

3層目は、基本構造は2層目に準ずるが、屋根は銅葺きになる

4層目の構造は、3層目と同じ

 5層目も基本構造は4層目と同様だが、屋根は方形造り(ほうぎょうづくり)となり、頂点に相輪が立つ。相輪は上から、宝珠(仏舎利を納める)、竜車(高貴な者の乗り物)、水煙(火炎の透かし彫りで火災除け)、九輪(五智如来と四菩薩を表す)、受花(飾り台)、伏鉢(盛り土の墓)、露盤(伏鉢の土台)から成り、極めて標準的な構成になっている。

5層目は方形造りの屋根を持ち、頂点に相輪が立つ

相輪は、標準的な構成になっている

 池上本門寺の五重塔は、酸化鉄顔料である弁柄(ベンガラ)によって、全体が日本の伝統色である暗い赤みを帯びた茶色に塗られている。弁柄は塗料としては、自然素材で安価であり、耐久性もある。寺社建築ばかりでなく。陶芸などの工芸でもよく使われる材料だ。現代人にとっては地味な色に感じるが、江戸時代には定番の材料で、虫除けや魔除けの縁起物にもなった。また、この塔の形は、各層の横幅がほぼ同じで、各層の屋根も可能な限り小さくして軽量化したので、まるで四角柱が立っているように見える。これ以前の塔の建築技術では、上層を支えるために下層は幅広くし、重量低減のため屋根の大きさも上方になると小さくしていった経緯がある。四角柱では見映えのしない建築になるので、和様と禅宗様を巧みに取り入れ、当時流行していた装飾のデザインも取り込んだ。ある意味では、大変合理的な設計になっている。仏教への信仰が国家レベルが標準であった古代や中世とは異なり、経済活動が盛んになった江戸時代に相応しい手法なのかもしれない。

■五重塔の美しさとは
 日本人は五重塔が好きで、五重塔の美しさに思いを巡らす。日本建築学会の白井裕泰氏の"五重塔の逓減について"には(詳細はここをクリック)、近世初期の木割書である"匠明"による解説が紹介されている。五重塔の形を分類し表現するには、軒長さの逓減と柱間の逓減の問題に帰結されると言う。そこで、五重塔の各層の屋根の頂点を結んだ線分に注目して、逓減の様態として3つに分類して論じている。
 ・タイプA:内側に凹むもの
 ・タイプB:直線上のもの
 ・タイプC:外側に凸になるもの
日本にある20基の五重塔を分類すると、Aは室生寺、醍醐寺、興福寺、瑠璃光寺などの塔、Bは法隆寺、厳島神社、池上本門寺などの塔、Cは海住山寺、羽黒山などの塔だ。しかしながら、これは形状の分類であって、当然ながら美しさの評価ではない。
 もっと単純に、5層目と初層の屋根の1辺の長さの比率を低減率として定義する考え方もある。これによると、奈良時代の法隆寺五重塔(タイプB)は0.5(=10.65m/21.175m)、平安時代の室生寺五重塔(タイプA)は0.59(=4.80m/8.08m)、江戸時代の池上本門寺(タイプB)は0.68(=10.80m/15.89m)であり、時代とともに値が大きくなっている。しかし、タイプCで鎌倉時代の海住山寺五重塔は0.83(=6.66m/8.04)で、2層目の屋根が大きいため、この傾向には当て嵌まらない。これも、五重塔の美しさはとは別の議論だ。結局、お気に入りの塔があれば、それで良いということだろう。

奈良時代の法隆寺五重塔 (‎2006‎年‎11‎月 奈良県斑鳩町)

平安時代の室生寺五重塔 (‎2006‎年‎11‎月 奈良県宇陀市)

鎌倉時代の海住山寺五重塔 (1979年4月 京都府木津川市)