新交響楽団第271回演奏会 – 芥川也寸志とベートーベン
新交響楽団は、東京の歴史あるアマチュアオーケストラであり、池袋の東京芸術劇場を会場に活動している。昨年から東京芸術劇場の大掛かりな空調や舞台システムの改修があり、最近は東京周辺の幾つかのコンサートホールで演奏を続けてきたが、この度1年振りに東京芸術劇場に戻ってきた。開演前に、改修工事で何が変わったのだろうと探検を始めたが、外観もコンサートホール内にも余り変わらったところはない。ただ、舞台の後方に設置されたオルガンを遮るように、音響反射板が吊り下げられていた。また、コンサートホール入口の天井に3つの装飾画があることに、今回初めて発見した。洋画家の絹谷幸二氏の"天・地・人”と言う作品で、テーマは東京の風景のモニュメントや、古代ローマをイメージ、戦争の悲惨さを表現した図柄などで、大都会のビルの中のコンサートホールで繰り広げられる多様な世界観を予測しているような表現だ。






さて、2025年10月13日の第271回演奏会は、現代日本の芥川也寸志の2つの楽曲と、ベートーヴェンの交響曲を2曲組合せたプログラムだ。芥川也寸志は、今年が生誕100年にあたり、新響の生みの親でもあるため、最近は積極的に取り上げている。指揮は、ウィーン在住の寺岡清高氏。前半は、芥川 也寸志の絃楽のための三楽章と、ベートーヴェンの交響曲第2番ニ長調。休憩を挟んで後半は、芥川 也寸志の交響管絃楽のための音楽と、ベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調が演奏された。

芥川 也寸志の楽曲は、良く考えられた構成になっているが、技巧的でそれ程親しみやすいものではない。絃楽のための三楽章は、弦5部編成で、急-緩-急の3楽章形式。第1楽章は、短い音型がリズムを刻み、力強い主題がソロバイオリンを挟みながらもテンポを変えず突き進む。第2楽章の子守歌は、ゆったりと叙情的で、楽器本体を手で叩く特殊奏法もあり、メロディーが各楽器で引き継がれながら演奏される。第3楽章は、祭囃子のようなテーマが現れ、それ段々と加速しながら終わる。十数分の短い曲だが、キレの良いリズムに支えられているためか、引き締まった印象を受けた。
ベートーヴェンの交響曲第2番ニ長調は1803年に初演されたが、その前年には難聴への絶望からハイリゲンシュタットの遺書を書いた。しかし、この曲にはその悲壮感はなく、明確な構成の上に息の長い旋律が現れ、何か安心して引き込まれるような魅力がある。これ以降、ベートーヴェンは傑作の森と呼ばれる充実した時期を過ごすことになる。全4楽章で、楽器構成は古典的な弦5部と2管編成とティンパニ。新響の演奏は曲想通り、しなやかで快活なものだった。
芥川 也寸志の交響管弦楽のための音楽は、弦5部に、木管、金管、打楽器、ピアノを加えた編成。NHK放送25周年記念事業の懸賞募集管弦楽曲応募作として作曲された出世作。このためか、華やかで盛り沢山。2楽章構成。第1楽章は、単調なリズムが刻まれる中、管楽器が断片的なテーマを奏で、それが他の楽器に広がっていく。休み無しに第2楽章に入ると、テンションが上り、幾つかのメロディーを奏でなからクライマックスに至る。構成は分かりやすいが、息の短い旋律が多く、少し馴染み難いかもしれない。
最後は、ベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調。全4楽章で、楽器構成は交響曲第2番とほぼ同じ。1808年に初演されたベートーヴェンの代表作であり、"運命"という通称で知られている。冒頭の運命の動機が、全曲を通して展開し、苦悩から歓喜へのストーリーを創り上げる。この革新的な音楽は、後世の作曲家にも大きな影響を与えた。新響の演奏は、主題の展開を丁寧に扱いつつ、息つく間もなく前進し、フィナーレを迎えた。
普通の演奏会では、滅多に取り上げられない珍しい楽曲を聴けるのが、新響演奏会の独特の楽しみだ。今回の芥川也寸志の2作品については、実は芥川也寸志指揮の新響のCD(fontec、1986年)で予習していたのだが、演奏会における実演は、細かなフレーズでも楽器ごとに聴覚でも視覚でも確認でき、難解な現代音楽の理解に役立つと思った。また、この凝ったプログラム構成のおかげで、改めてベートーヴェンの音楽の革新性と人間性を再確認した。


