ツリフネソウ - 個性的な形態と生き様
ツリフネソウ(釣船草)は、ツリフネソウ科ツリフネソウ属の1年草。東アジアに広く分布し、日本の在来種でもある。全国各地に分布するが、水辺の湿った薄暗い場所に自生するので、見かける機会は少ないかもしれない。ツリフネソウは、立体的な花の形状が帆掛け舟を吊り下げたように見えることから、命名された。夏から秋にかけて、群生する緑の茎や葉の上に、赤紫色の花が点在する様子は鮮明で良く目立つ。花に注目すると、この細長い花被の先に蜜を蓄える特殊な花の構造は、花粉媒介者を制限することにもなる。このためか、花を開かずとも蕾の状態で自家受粉できる閉鎖花もつくり、1年草であっても生き残る術を心得ている。花が終わると果実ができるが、熟すとわずかな刺激で、果皮がはじけてクルクルと巻き、種子をはじきとばす。園芸種で同属のホウセンカ(鳳仙花)と同じ振る舞いだ。しかし、日本の文化の中では、ツリフネソウは在来種と雖も古典文学にも登場せず、生育環境を選ぶため庭の花にもなれず、その存在感は薄い。それでも、野に自生する植物としては、個性的な存在だと思う。

【基本情報】
・名称:ツリフネソウ(釣船草、吊舟草)
・別名:ムラサキツリフネ(紫釣船)
・学名:Impatiens textorii Miq.
・分類:ツリフネソウ科 ツリフネソウ属の1年草
・原産地:東アジア(日本、朝鮮半島、中国、ロシア東南部)
・分布:日本では、北海道から九州まで全国各地
・花言葉:安楽、心を休める、期待、詩的な愛、私に触れないで
■生態
ツリフネソウは、湿地に群生する。株を上から見ると、輪生しているように見える葉の脇から花序柄が伸びて蕾がつくが、それらは葉より上に飛び出す。花序柄の先には、やがて数個の蕾や花などが集まり総状花序を構成する。茎は節をつくりながら直線的に伸びるが、柔らかいので倒れ易い。また、茎は赤味を帯びることがある。花序柄の下方には赤紫色の毛が生えるのも特徴だ。葉は基本的に互生するが、茎の上方では輪生のように重なり合う様につく。葉の形は先が尖った楕円形で、葉縁には鋸歯がある。






■花
ツリフネソウの花は独特な形状をしているので、先ずその構造について説明する。開花した花を正面から見ると、中心に雄蕊や雌蕊があり、その前方下部に良く目立つ大きな花弁が左右にあり、上部には小花弁がある。萼片も2種類あり、小花弁の上に上方の萼片、そして花弁を束ねるように下方の萼片がある。花を側面から見ると、下方の萼片の先に渦巻状の距があり、この中に蜜が蓄えられている。そして、上方の萼片から花柄が伸び、花序柄に繋がっている。


次に花序柄の様子を見てみよう。この構成要素は、前面が大きく開いた赤紫色の花(開放花)、細長い緑色の果実、ほぼ球形で赤味がかった距らしきものがある蕾、そして蕾と同じ形で距が無く緑色の閉鎖花らしきものだ。これらを順番に調べていく。

ユニークな形をしたツリフネソウの花だが、蕾から開花するまでの様子を時系列に観察してみよう。花序柄の中で距が生えた紫がかった球形のものが蕾だ。若い蕾は上下両方の萼片で囲まれているが、やがて上下の萼片の間が割れ、花弁の一端が現れる。この皺くちゃな花弁が伸び、赤紫に色づき始めると間もなく開花だ。開花した花を正面から見ると、大きな赤紫色の花弁が目立つ。花粉媒介者である大型のハナバチなどを引き寄せる目印でもあり、距の奥にある蜜を吸うための足場になるのだろう。






ツリフネソウの花は両性花だが、先に雄蕊が花粉を出し、その後雌蕊の柱頭が伸び、雄蕊が落ちた後に雌蕊が他の花の花粉を受け入れ、自家受粉を防ぐようなプロセスを踏む。先ず、開花すると葯が中心部で合着した短い花糸を持つ5本の雄蕊が現れ、先ず雄性期が始まる。やがて、雄蕊より長く雌蕊の柱頭が飛び出す。この柱頭の生育と同期して雄蕊が落ち、花は雌性期に入る。その後、子房が伸びて、果実をつくる準備が始まる。



ツリフネソウの特殊な花に集まる昆虫には、大きさや形態にある程度の条件がある。花粉媒介者として、多数の花を巡りながら体に花粉をつけながら花の奥の距まで口吻が届くような大きなマルハナバチなどは、花にもハチにも win-win の関係にある。しかし、小さな昆虫ではそうはいかない。一方で、スズメガの仲間のホシホウジャクは、ホバリングしながら長い口吻で蜜を吸いに来るだけなので、ツリフネソウにとっては厄介者なのかもしれない。

花序柄には、蕾に似ているが、距は無く緑色をした球形の閉鎖花らしきものがある。この球形のものは、生育環境によって蕾か閉鎖花に切り分けられるのだろうか、それともある程度植物の体内で予めプログラミングされているのだろうか。閉鎖花の役割は、その内部で自家受粉してでも、果実をつくり種子を残すことであり、1年草の執念のようなものだ。閉鎖花は外側からしか観察できないので、内部の様子は分からずミステリアスな存在だ。

■果実
花期が終わると、花序柄には紡錘状円筒形の果実が出来る。果実は蒴果で、熟して何かに触れると果皮が弾けてクルクルと巻き、種子を弾き飛ばす。



■近縁種 キツリフネ
キツリフネ(黄釣船)は同属の1年草で、全国各地の山野で自生している。形は似ているが、相違点も多い。ツリフネソウに対しキツリフネは、花の色は黄色(ツリフネソウは赤紫)、花がつく位置は茎上部の葉の下(同上)、距の形状は緩やかに曲がる(同渦巻状)、花期はキツリフネが少し早い。そして、湿地を好み生息環境も同様なので、混在して咲いていることもある。

■ツリフネソウと日本人
ツリフネソウは、その独特の花の形状や、花の時期に湿地帯で群生する様子が美しく、自然愛好家には人気がある。しかし、草全体に毒性のヘリナル酸を含み、苦味が強くて食用にならず、危険な植物でもある。また、特殊な自然環境を好むため、民家の庭での栽培も難しい。世間一般には馴染みにくい要素を持っているので、美しくても風流な華道の世界では茶花には使われないし、文学の世界でもツリフネソウをテーマにした作品はも殆ど生まれない。また、ツリフネソウをテーマにした顕著な研究成果も見当たらない。そんな人間の思いは、野に自生する雑草には与り知らぬことであり、ツリフネソウは孤高の世界で生きていく覚悟が出来ているのだろう。


