新交響楽団第268回演奏会 - "ジークフリート"ハイライト
日本の歴史あるアマチュア・オーケストラの新交響楽団(新響)は、本拠地の東京芸術劇場が改修中のため、暫くの間は東京近辺のあちこちのコンサートホールで演奏会を開いている。第268回演奏会は、ミューザ川崎シンフォニーホールで2025年1月5日に行われた。新国立劇場音楽ヘッドコーチで、ワーグナーを得意とする城谷正博の指揮で、ワーグナーの舞台祝祭劇"ニーベルングの指環"から"ジークフリート"を演奏会形式で主要部分を抜粋して演奏する。いつもの演目と異なり、3名のソリストが加わり、複雑怪奇なストーリーが展開され、日本語字幕表示装置のサポートがあっても、どこまで理解が及ぶか心もとない。一体、どのような演奏会になるのだろうか。

■ミューザ川崎シンフォニーホール
JR川崎駅西口から歩道橋で直結した場所に複合施設"ミューザ川崎"があり、その中にオフィス棟やショッピングゾーンとともに、丸い柱に支えられ音符が散りばめられた方形の洒落た外壁を持つ"ミューザ川崎シンフォニーホール"がある。ホール内部の構造は、アリーナ(ワインヤード:葡萄畑)型で、中央のステージを客席が取り囲む方式で、視覚的な距離が短く臨場感が生まれる一方で、音響的には客席の場所によるバラツキが出てしまうことがある。特に、ミューザ川崎シンフォニーホールは、摺り鉢の底にステージがあって、客席は4階まであり高低差が大きい。このため、客席の間に左右非対称の反射板を設置して反響を制御し、どの席でも良好な音響が得られるよう工夫しているようだ。ステージ横の2階席で聴いたが、特に音響的な問題ないと感じた。また、ステージ奥には、スイスのクーン社製パイプオルガンも備えている。収容人員は1,997人で、ホールの構造は異なるが、所沢ミューズのアークホール並だ。都心のコンサートホールにも引けを取らず、東京交響楽団のフランチャイズホールでもある。今回の楽劇の公演には適していると思う。





■プログラム
リヒャルト・ワーグナーが創作した舞台祝祭劇"ニーベルングの指環"4部作は、序夜"ラインの黄金"、1日目"ワルキューレ"、2日目"ジークフリート"、3日目"神々の黄昏"で、公演に4日間を要する。全体の物語の概要は、ライン川にある黄金を小人アルベリヒが奪って指輪に変える。神々の長ヴォータンはそれを取り返そうとし、彼らの子孫の巻き込んで争い続けるが、指環はブリュンヒルデ(ヴォータンの娘で、ジークフリートの伯母且つ愛人)の死をもってライン川に返され、結局多くの犠牲を払いながら元の木阿弥で決着。登場人物は神と言えども倫理観は欠如し、ストーリーは荒唐無稽なので、お伽話として割り切る必要がある。
当日の"ジークフリート"のプログラムは、3部構成。ジークフリートはヴォータンの孫で、両親は既に亡く、アルベリヒ一族のミーメに育てられている。
#1.ジークフリートは、両親が残した破片となってしまった名剣ノートゥングを鍛える(第一幕より)。演奏は、ジークフリート(テノール:片寄純也)とミーメ(テノール:升島唯博)と管弦楽。
#2.ジークフリートは名剣ノートゥングによって大蛇に変身していて指輪を持つファーフナーを殺害(第二幕より)。管弦楽のみで演奏。
#3.大蛇を退治して指輪を手に入れ、鳥の声の意味を聞き取ることができるようになったジークフリートは、岩山の頂上で炎に囲まれて眠るブリュンヒルデを目覚めさせ、ブリュンヒルデと結ばれる(第三幕より)。演奏は、ジークフリートとブリュンヒルデ(ソプラノ:池田香織)と管弦楽。
#1は物語の背景を2人のソリストが説明するシーンで、日本語字幕表示装置だけが頼り。#2は、暗い森の中で様々な企みが進行し、殺意を感じたジークフリートはミーメも殺害。歌劇場で舞台装置があり歌手が実演する場合は、視覚的な表現が伴うので理解し易いが、管弦楽だけでストーリーを展開するのはかなり難しいと感じた。#3は、ジークフリートとブリュンヒルデの掛け合いで進行する。目覚めたブリュンヒルデは、不安におののき、取り乱した心情が表現されるが、ジークフリートの強力なプッシュで、やがて愛し合うようになる過程が、管弦楽のライトモティーフをともなって表現される。これが、次に何が起こりそうか予感させ、理解を助ける。この手法が、ワーグナーの音楽の醍醐味なのかもしれない。#3に至って、漸く楽しめた。ワーグナーの管弦楽は4管編成の大規模なもので、伝統的な2管編成のものより重厚で迫力があるも魅力だ。その反面、管弦楽とソリストとのバランスは微妙で、歌劇場ではオーケストラピットがある理由が分かったような気がする。初めてのワーグナー作品の生演奏体験は、ドラマティックで感情的な表現に感心したが、リアリティの欠如が熱中を妨げる。もう少し、我慢して聴いてみる必要がありそう。



