ミューズ・ニューイヤーコンサート2025 - 小山実稚恵の"皇帝"

 毎年新春に所沢市市民文化センター・ミューズでは、ミューズ・ニューイヤーコンサートが開催される。ここ数年は、秋山和慶さんの指揮で東京交響楽団がウィンナ・ワルツ1曲とドヴォルザークの新世界交響曲、そして小山実稚恵さんとの共演で、ピアノ協奏曲を1曲というのが定石のプログラムだ。このため、小山実稚恵さんがどの協奏曲を弾くのかが、このコンサートでの関心事だ。今回の協奏曲はベートーヴェンの"皇帝"。小山さんの”皇帝”は初めてなので、楽しみにして出かけた。会場に着くと、秋山和慶さんが怪我のため入院され、急遽沼尻竜典さんが指揮をするとの張り紙があった。ベテランとは言え、どんな心境で望むのだろうか、同情を禁じ得ない。開演前のハプニングがもう1件。所沢の小野塚勝俊市長が舞台挨拶をし、新年の挨拶とともに、所沢は音楽都市を目指すと抱負を語っていた。所沢のミューズは、コンサート用のアークホール(大)の他に、演劇や寄席用のマーキーホール(中)、ピアノ教室や合唱団の発表に場に使われるキューブホール(小)があり、プロの公演から市民レベルの発表会まで様々な需要に対応でき、地方都市にしては音楽用の施設は充実している。更に進めて、ミューズを本拠地とする演奏団体が生まれてくれば、真の音楽都市所沢と誇れると思う。市長さんに大いに期待している。

ミューズ・ニューイヤーコンサート2025のポスター

急遽、指揮者は沼尻竜典氏に変更

■コンサート会場
 今年のニューイヤーコンサーは、1月4日に開催された。会場はアークホールで、構造は典型的なシューボックス型で、オーストリアのリーガー社製のパイプオルガンも備えてある。バルコニー席が2階と3階にあり、座席数は合計2002席あり、これは赤坂サントリーホールや池袋の東京芸術劇場と同等。音響効果は構造上、座席による依存性が少なく、良好。質、量とも都心のコンサートホールに匹敵し、地方都市には貴重なホールだ。

ミューズ・アークホール入口 (2025年1月4日 所沢市ミューズ)

アークホールの奥からステージを見る (2025年1月4日 所沢市ミューズ)

アークホール内部の様子 (2025年1月4日 所沢市ミューズ)

■プログラム
 最初の曲は、ヨハン・シュトラウス2世の"皇帝円舞曲"。1889年に独のベルリンの新コンサートホールのこけら落としのため、墺のシュトラウス2世が作曲した"手に手をとって"を披露した。その当時、独皇帝ヴィルヘルム2世とオーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が友好関係にあったため、楽譜出版の際に曲名を"皇帝円舞曲"に改めた。4つのワルツからなり、ウィンナ・ワルツの中でも演奏頻度が高い曲だ。沼尻さんの指揮は、大きく素早い動作でリズムや指示が出され、テンションは次第に高まっていく。とても代理とは思えない指揮ぶりで、心配は杞憂に終わった。

 2曲目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番"皇帝"。 ベートーヴェン中期の"傑作の森"の終盤に作曲され、初演の独奏を初めて他人に任せた。難聴が進行したためだろう。初演は不評だったためか、再びピアノ協奏曲を創作することはなかったが、これを機にピアニスト兼任作曲家ではなく本格的に作曲家に専念し、後期の傑作群を生み出すことになる。独奏者の小山実稚恵さんは、所沢ではショパンやラフマニノフの協奏曲を演奏したことがあるが、ベートーヴェンは初めてだ。事前にCDで聞いた後期のピアノソナタ第30、31、32番では、繊細なタッチと妥当なテンポ、破綻がないテクニックで、抑制の効いた日本人らしい演奏だった。実演の"皇帝"でも第1楽章はその印象が強かったが、第2楽章になるとオーケストラとの掛け合いが素晴らしいことに気がついた。オーケストラの演奏スタイルを気配として感じて学習し、次の楽節でオーケストラとどう合わせるかを予測しているようにも思える。これはAI的な演奏と言って良いかもしれない。第3楽章に入るとテンポは早まり、ダイナミックスも広がるので、演奏の即興性やボルテージが高まり、なかなか熱い演奏になったと思う。満場の拍手に応えて、アンコールに"エリーゼのために"を独奏したが、こちらは起承転結の明確なスマートな演奏だった。

 3曲目はドヴォルザーク作曲の交響曲第9番"新世界より"。このコンサートでは、例年この曲が演奏されるので、次は別のものをと思っていたが、改めて聴いてみると2管編成の古典的な交響曲の形式の枠の中でも、キャッチーな旋律が次々に現れ、聴く者を飽きさせない。黒人霊歌を思わせるメロディー、イングリッシュホルンによる"家路"のテーマ、鉄道オタク御用達の機関車のようなダイナミックな響きなど、ボヘミアからアメリカに赴任したドヴォルザークの好奇心と望郷の念が素直に伝わってくる。けだし、名曲だ。東京交響楽団にとっては、新世界交響曲は自家薬籠中の曲だ。心地よい響きに身を任せて楽しんだ。

 アンコールは、ヨハン・シュトラウス1世の"ラデツキー行進曲"。19世紀半ばに、当時はオーストリア帝国領であった北イタリアの独立運動を鎮圧したヨーゼフ・ラデツキー将軍を称えて作曲された。進歩的だった作曲者が、愛国者に変身してしまった瞬間だ。常時、オーストリア帝国の流れを汲むリズムが刻まれて馴染みやすく、人気曲となった。毎年ウィーンで開催されるニューイヤーコンサートのアンコール曲になっているが、所沢のコンサートでも、締めのアンコール曲になっている。演奏は聴衆の拍手でリズムを刻みながら進む。指揮の沼尻さんはステージを所狭しと飛び回り、拍手のタイミングを指示し、会場は大いに盛り上がった。

 来年のミューズ・ニューイヤーコンサートはどうなるのだろう。"新世界"と"ラデツキー行進曲"は決まりかな。小山さんはどの協奏曲を弾くのだろうか。楽しみだ。