大田黒元雄邸サロンコンサート - 青柳いずみこ with 高橋悠治
杉並区荻窪に由緒ある三庭園がある。大田黒公園、角川庭園、荻外荘公園である。昭和初期の政治家近衞文麿の旧宅だった荻外荘の公園開園を記念して、杉並区が大田黒公園で、2024年12月22日に青柳いづみこさんのピアノコンサートを開催した。コンサート名は"荻外荘完成記念 大田黒公園記念館「青柳いづみこ サロンコンサート」"と如何にもお役所主導のように見えるが、実は様々な機会に大田黒公園記念館での青柳いづみこさんのコンサートは開催されてきた。
■歴史あるコンサート
日本における音楽評論家の草分け的存在である大田黒元雄は、20世紀初頭に音楽愛好家の青年を集め、サロンコンサートを開いていた。当時のクラシック音楽の主流だったドイツ音楽以外にも世界には素晴らしい音楽があり、それらを演奏しあって啓蒙するのが目的だった。大田黒は1933年(昭和8年)に、荻窪に移住した。現在の大田黒公園記念館である。使っていたピアノは、1900年製のスタインウェイだ。そのピアノは古くなり寿命が尽きようとしたとき、杉並区在住のピアニストで、"パリの音楽サロン"や"ショパン・コンクール見聞録"などの著者でもある文筆家の青柳いづみこさんが中心となって、2008年(平成20年)に"大田黒公園のピアノを守る会"を立ち上げ、多くの人々支援を得て、ピアノの復元が完了した。これが縁で、青柳いづみこさんのコンサートが、大田黒公園記念館のピアノで機会あるごとに開かれるようになった。




■復元されたピアノ
スタインウェイ社の創業の地はドイツだが、19世紀半ばに米国ニューヨークに Steinway & Sons社を設立。スタンウェイのピアノは、大きなコンサート会場でも繊細な音から大音量まで、張り詰めた輝かしい音色で響き渡り、現代のグランドピアノの最高峰と評価されている。大田黒邸のピアノは、比較的小型のグランドピアノで、スタンウェイのニューヨーク工場から部品を取り寄せ、ドイツのハンブルグ工場で1900年に組み立てたものだ。音色はニューヨークのものほど研ぎ澄まされたものではなく、青柳いずみこさんは、少しおきゃんと表現していた。外観は、響板は寄木造りで、脚は古典的なデザインで、なかなか個性的だ。内部は強固な金属フレームに上下に隙間を空けて2方向にピアノ線が張ってあり、機能的な美しさがある。製作後100年以上経過したとは思えないほど、良く整備されている。サロンコンサートの会場はあまり広くなく、抽選で選ばれた40名の聴衆で満員だ。その中に、このピアノの保存に尽力された方々も参加されていると青柳いずみこさんが紹介していた。このコンサートが継続されている理由が分かったような気がする。




■プログラム
今回のコンサートのプログラムは、かつて大田黒元雄邸の"ピアノの夕(1915~1917)"から選曲したものだ。このサロンの性格上、ドイツ以外の国々の音楽が並んでいる。そればかりでなく、演奏者に高橋悠治さんが参加していることに驚いた。高橋悠治さんの弾くバッハのゴルトベルク変奏曲(1976年)は、軽快なテンポの中で、どの音も明快に響かせながら、抒情を排したストイックな演奏で、現代音楽を得意とする高橋悠治さんらしい演奏だったと記憶している。外見は若い頃のツッパッた感じから、今は好々爺に見えるようになったが、イリンスキーや山田耕作の曲を演奏すると、紛れもなく高橋悠治さんだ。コンサートは2人のピアニストによる独奏や連弾によって、現在でも馴染みのある曲と、そうでもない曲が並び、100年余前の音楽青年たちの試行錯誤や意気込みが感じられた。ピアノも好調で、最もダイナミックレンジが広いと思われるドビュッシーの沈める寺でも、繊細な音から大音量まで破綻すること無く鳴り響いた。青柳いずみこさんのタイムリーなトークを挟んで1時間余り、アンコールのドビュッシーの小組曲から小舟にての連弾で終了。至福の時だった。


コンサート終了後は、2016年にこの場所で録音されたCD"大田黒元雄のピアノ-100年の余韻-"に、青柳いずみこ さんと高橋悠治さんのサインをいただいた。今回のコンサートは、日本の西洋音楽の黎明期、美しい庭園の中にある音楽サロン、古いピアノを復元した人々の努力、そして高橋悠治さんの突然の出現など、青柳いづみこさんのコンサートがこれ程多くの物語を含んでいたことに感銘し、忘れられないコンサートになった。
