タチアオイ - 梅雨期の花の塔
タチアオイ(立葵)は、アオイ科 タチアオイ属の草本。出自は複雑で、現状ではビロードアオイ属のトルコ原産種と東欧原産種との雑種説が有力。日本には、古くに渡来したが、観賞用として栽培されてきた。草丈は人の高さを超えて真っ直ぐに伸び、花が茎に沿って下から上に順番に咲いていく。しかも、花の色や構造は多様で、株は群生するので、タチアオイの前に立つと花の壁に囲まれた感覚になる。花期が梅雨の時期と重なるのでツユアオイ(梅雨葵)とも呼ばれ、鬱陶しい時期の気分を晴らしてくれる存在になっている。文化的には、日本では万葉集や源氏物語にも登場し、ヨーロッパでは十字軍がシリアから持ち帰って聖地の花(hollyhock)と呼ばれる歴史がある。身近な植物だが、何やらかなり大物のようだ。

【基本情報】
・名称:タチアオイ(立葵)
・別名:ハナアオイ(花葵、別種を指すこともある)、ツユアオイ(梅雨葵)、ホリホック(hollyhock、別種を指すこともある)
・学名:Althaea rosea
・分類:アオイ科 タチアオイ属の多年草、二年草、一年草(品種による)
・原産地:ビロードアオイ属のトルコと東欧原産種との雑種説が有力
・分布:日本には古くから渡来し、観賞用に各地に分布
・花言葉:豊かな実り、気高く威厳に満ちた美
■形態
タチアオイは宿根性の多年草、二年草。園芸品種のなかには、春にタネを撒くと夏には開花する一年草タイプもある。茎は直立し、毛が密生する。葉柄の付け根に小さな卵形の托葉があり、長い葉柄の先には先が幾つかに裂けた円形に近い大きな葉がつき、茎に対し互生する。花茎は長く直立し、穂状に花が多数つく。梅雨の頃から葉の脇から短い花柄を介して大きな花をつけ、下から次々と梢まで咲き上がり、⻑い花序をつくる。園芸種が多いためか、花の色は赤、紫、白、ピンク、黄色など、咲き方は一重咲き、八重咲きなど多彩。

■花
タチアオイのは花弁は5枚、花弁の基部には5裂した萼があり、カップ形の苞葉を介して花柄に繋がる。花の中央に雌蕊があり、それを多数の雄蕊が取り囲む。雄性先熟なので、先ず雄蕊が熟して花粉を拡散し、その後に雌蕊の柱頭が伸びてその先が分かれて糸のように広がる。このとき、昆虫などによって先に他の花の花粉がつくと強い子孫を残せる。そうでない場合は、次善の策として同じ花の中で自家受粉することも出来る。花が終わると、空飛ぶ円盤のような形の果実ができる。この中には、花柱部を囲んだドーナツ状の部分に、多数の半円形体のような分果が連なるように入っている。








■花のギャラリー
原種としてのタチアオイは、様々な伝説や多くの呼び名があり、今でも存在するのか分からない。現在、目にすることが出来るタチアオイは、ほぼ園芸種と思われる。タチアオイとしての共通項は、主として茎や葉や根などの骨格部分であり、品種としての独自性を表現するものは花の色と構造(一重、二重、八重咲きなど)と思う。身近なタチアオイの花を、大雑把に分類し列挙してみたが、なかなか多彩なものだ。











■タチアオイと日本人
世界的にタチアオイの歴史は古く、人類が利用した最も古い植物の一つとされている。4万年前までユーラシアに住んでいた旧人類ネアンデルタール人の埋葬骨とともに、タチアオイ属の花粉がイラク北部の洞窟で発見された。タチアオイに死者を悼む意味を込めたのだろう。また、中国では、タチアオイは、唐の時代にボタンが流行するまでは最も重要な植物だった。日本には古代に渡来したようで、万葉集、枕草子、源氏物語などの登場する。当時は葵とか唐葵と呼んでいたようだが、江戸時代になり園芸植物として流布した頃に、立葵と呼ばれるようになり、もっぱら民家の近くで植栽される植物となった。しかし、海外では薬用や食用にも利用されている。ヨーロッパでは、ローマ時代の文献"博物誌"に様々な効用が記録されている。現代でも花や若葉を疲労回復の目的て使ったり、ハーブティーとしても利用している。中国でもかつては、根を⽣薬名蜀葵根と呼び胃腸薬や利尿剤として、花を⽣薬名蜀葵と呼び皮膚炎に利用しこともあった。
日本におけるタチアオイの受容は、海外のそれとは異なる。それは主にタチアオイとともに暮らした時間の長さによるものかもしれない。日本の場合はヨーロッパや中国と比べると短時間(…と言っても1000年経過しているが)であり、タチアオイが渡来した時期には、既に日本には様々な植物があったので、タチアオイが何か特別な植物と思わせる要素が少なかったのかもしれない。しかし、日本の梅雨の僅かな時期に、見事な花を咲かせるタチアオイは、すっかり日本の四季を彩る植物になっている。最後の梅雨の中のタチアオイのショットをオマケに。

